【吉配信】~森とヒトと

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Thursday, May 11, 2006

【環境で夏休み】 7/27

From: 田中 吉成
Subject: 【環境で夏休み】 7/27
Date: Tue, 27 Jul 2004 22:15:52 +0900


七夕に大きなカブトムシと出会った同じクヌギの木に行ってみると、
もう樹液は出ておらず、カナブンもいなく、昆虫酒場は閉店です。

木の根元には2匹のオスのコクワガタの死骸が。

昆虫の世界は、秋に入りました。
今ごろあのカブトムシは成虫から卵になって土の中。


夏です。環境をお勉強、哲学しましょ。

エイズ、ガンの特効薬は昆虫の中にあるかも。
今、研究されてます。

◆海野和男のデジタル昆虫記
大好評の【小諸日記】は毎日更新中!
http://eco.goo.ne.jp/wnn-x/diary.html




◆にっぽんの“ゴミ”大陸へ渡る。中国式リサイクル錬金術  NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/
行き場を失っていた日本のゴミは、今、カネを生む資源として中国に大量に飲み込ま
れている。中国人バイヤーは、磁石とライターを使って金属やプラスチックの材質を
見分け、ゴミ山ごとに数百万円から数千万円という値を付け買い取ってゆく。大陸に
渡ったゴミは、群がった出稼ぎ労働者たちの手によって、見事に細かく解体・分類さ
れてゆく。最終的には自動車や衣類などへ姿を変え、製品の一部は日本をはじめ海外
に輸出される。中国の資源不足と日本のゴミ問題を同時に解消する、国境を越えたリ
サイクルシステムの成立である。

ところが、これは日本に思わぬ事態を引き起こした。ゴミ問題の切り札として築き上
げてきた国内リサイクルが、原料不足に陥り崩壊しようとしているのだ。さらに、世
界中で大量に発生し始めた廃棄パソコンが闇ルートで中国に渡り、環境問題を引き起
こしている実態も明らかになった。国境を越えるリサイクルは、日本にとって福音と
なるのか、それとも国内リサイクルを築いてゆく上での障害となるのか。海を渡って
移動するゴミを追跡し、新たな局面に入ったリサイクル社会の行方を探る。




日本は“環境立国”だなんて、偉そうにクチに出せませんね。

間伐材も中国のバイヤーに取られてしまうかな。

三澤千代治氏も中国で110ヶ所、Mウッドの工場建設へ。
ペットボトル、木質廃材はぜ~んぶ中国が持っていきますかっ。

南米、東南アジアの原生林をボロボロにした先進国たちが、
今になって“環境”を盾に自国の植林した木々を使えと。

発展途上国に比べ、一人当たり20倍の紙を消費する先進国の方々。
先進国の人々は20倍、地球を汚していることになりますかっ。


“環境”なる言葉も概念もない20年前、
開高大兄はすでに示唆していました。



一人のアメリカ人の金持ちが休暇をとってアマゾン河へやってきてインディオの
老人とならんで魚釣りをはじめる。アメリカ人はブルックス・ブラザースに特注で
作らせた、パリッとした防暑服を着込んでいるが、インディオの老人は全裸に
フンドシ一本きりである。二人は雑談をはじめ、アメリカ人は問われるままに
ニューヨークやジャンボ・ジェット機の話などをしてやる。

そして話が身の上話になると、8歳のときからブルックリンの町角にたって新聞売り
をはじめたが、一生シコシコセカセカと働いた結果、今ではアメリカ実業界の大立者
になったいきさつを語る。ニューヨークにペントハウスを一つ、パリ郊外にシャトォ
を一つ、自家用ジェットを二台、マイアミに豪華オーシャン・クルーザーを一隻、
自動車は五台、金はトン単位でかぞえたいくらい・・・・・・などと語る。

「・・・・・しかしだね、セニョール」

金持ちは深い吐息をつき、

「そうやって何もかも手に入れたけど、今のおれにとって何が幸福かというと、
こうやってたまに一人でフラリと旅に出て秘書もオンナも電話もぬきでノンビリ
魚釣りをすること。これ以上の幸福はないね」

それでだまって話を聞いていたインディオの老人、怪訝そうに顔をあげ、

「何だ、金持ちになるってそんなことですかい。それならおれは8歳のときから
毎日ここでやってますぜ、セニョール」

といった。
とか。


何が“先進”で、何が“途上”であるか。それは判断の眼一つをどこに持ってい
くかでいくらでも定義を下すことができるし、どうにでも変わるものであるという
ことを、この小話はいいだがっている。殊に、何が幸福であるかを議論しはじめ
るとすべてがグラついてとめどがなくなるということもいいたがっていると
思われる。うかつに、“大国”だの、“近代化”だのをムキになって思いつめると
とんでもない赤ッ恥をかくことになりかねないから、皆様よくよく気をおつけに
なされヤ。

しかし、多年あちらこちらと“途上国”をうろつくうちにいくつかのことに気がつい
たが、その一つは、こういう国には廃品とか廃物などという物がないということ。

これである。

いわゆる“先進国”は膨大な量の廃物とゴミと残飯を、日夜、排出しつづけて
いるが、途上国においては、一つの事物は徹底的に使われ、利用され、
役立てられ、とことん正体がなくなるまで使役される。

表通りや裏通りをのろのろと歩いてその光景を見てまわるのはこうした国を
旅する一つの愉しみであるといったも過言ではない。

スペイン語では自動車のことをペイクーロ、もしくはカーロと呼ぶが、ペルーや
ウルグアイでは、“カラコッチャ”という事物を見かけた。これはありとあらゆる
オンボロ・カーのパーツを寄せ集めて作った、突ッ飛な物だが、ヨロヨロののろ
のろとではあるけれど、とにかく動くのである。一見したところは赤錆の小山で
あるが、たえまなしに身ぶるいしたり、咳きこんだりしながらも、とにかく煙を
吐いて走ってくれる。

これにも寸鉄のチステ(小話)が一つあって、町角でカラコッチャとカラコッチャ
が衝突すると、その場でもう一台新しいカラコッチャが生まれるというのである。

【生物としての静物   開高健 1984年】



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